続けること/続いたこと

これが楽しみでやるのだ!

よさんから、10月12日に宿題が出された。次のブログを読んで自分の意見を述べよというもので、コミュニティを主宰するものにとってはけっこう重いテーマ。幸いなことなのか分からないが、出張が続いているので、いつもなら飲んだくれているところをいろいろ考えてみた。まだ考えたいところだけど、大学でもレポートの期限は1週間が順当なところだから、まとめようと思って、こうして久しぶりにブログに書いてみた。
本題に入る前に、僕がブログを更新しなくなって久しくなった訳を少し述べたい。きっかけは本当につまらないことで、はてなダイアリーでは一般ユーザは小さな画像を1日につき1枚だけ貼ることができて、文字だけだと色気がないから毎回何かしらの画像を貼ろうと心に決めたこと。テーマにそった画像がなくてどうしようかと悩むことが多く、それと並行して書きたいことがどんどん溜まっていき、それが書かねばならないことになり、書くことの敷居を上げていった。結果的に、書かねばならないことを書いていないということで、自己矛盾を起こしてブラックホールにハマっている状態という感じで、自分で首を絞めている。
ネットで成功しているのはやめない人たちである」(いしたにまさき著)という本があって、これからすると僕は完全に負け組になるのだろうけれども、まぁそれもしょうがないかなぁと思っている。というのも表現手段としては、ブログでなくても、日々の小さなことならばTwitterだってあるし、最近は使い方もよく分からないままFacebookを使うことが多いからだ。でも、今回がきっかけでまたブログをこうして書くきっかけを作ってくれたよさんには感謝している。最初は「呑めなくなっちゃたなぁ」と今度ビールを奢ってもらいたいなぁぐらいに考えていたけど、得るものは大きかった。
さて本題に入ろう。本当はもうここまで書いてみて自分なりの結論は薄々出ているように思っているのだけれど、まぁ続けてみる。小江戸らぐの活動が、僕の情熱だけで続けてこれたというのは、大きな誤解で、本当のところは何かで呑みたいという意地汚いところがきっかけだけで、それに呆れながらも参加してくれた人、また僕がいろいろな意味でできなかったときに代わりにやってくれた人、会場を提供するために奔走してくれた人たちがいたから、結果的に続いたのだと思う。結果的にんだけど、運よくそういう人たちが集ってくれたから、続いたのだと思う。その経験を活かすならば、そういう人が集えるような環境作りというのが必要なのかもしれないけど、そういう環境って何だろう。
もう一つ、すでに言われて久しいことだけど、地域Linux Users Groupの衰退というものがあって、特定の分野に特化したコミュニティが多数活動していて、勉強会も盛んに開催している。地域Linux Users Groupは、集う人たちの関心も様々なため、いまひとつ活動が盛り上がらないという分析もあるけれど、半分は当たっているかもしれないけれど、すべてそうとは限らない。なぜなら、関心のないこともあるけれど、まだ知らないことを学べる機会でもあるし、人に何かを伝えることを勉強する機会としても機能している。地域Linux Users Groupはそういう場であるし、そういう箱を維持するのが、主宰者の責務だと思っている。とかっこいいことを言っているけど、やっていることは、基本的に月1回のオフの場所と日時を決めて「参加してね」と言っっているだけなんだけどね。なかなか参加する人数が増えないのは、モチベーションを下げるけど、これは自分に期待するということを胸に、まぁそんなもんで集まれば集まるなりの悩みも出てくるだろうと、自分の背丈に合っているサイズかなと思っている。
箱といえば、最近は勉強会の効果や重要性について企業の理解が進んでいて、勉強会に参加するための環境がよくなった一方で、勉強会を開催するための環境が悪くなっているように感じる。現在、僕が勤めているところの会議室が借りられないでいるのもそのひとつで、表向きの理由は「もし大規模な余震が起こったときに責任が取れない」というもので、これは新型インフルエンザのときに「感染したら責任が取れない」というのと根は同じものだろう。ここの会議室には無線LANの環境がなくて、その理由がセキュリティ的に完全に安全が担保できないから使用しないという、情報処理を推進するところとしては思いきり自己否定なんじゃないのと身も蓋もないことの延長で、外部の入室管理を厳しくするというのも同じ根だろう。これは、物理的にもサイバー的にもDMZ的な場所を提供するという環境ができれば、会議室を貸すなどの企業の理解も得られるのかなぁと思っている。そもそも貸会議室というのはそういうものであって、無償提供をしてくれるところであれば、なおさら責任の免除というのはあってしかるべきだと。それがその流れになっていないのは、僕たちの努力不足なのかな。勉強会の交流で光が強く当った分だけ、濃くなった影なのかもしれない。