駿府城東御門・巽櫓と徳川家康の最後
お城は漢(おとこ)のロマンだ!ということで来る前から絶対に寄りたいと思っていた、静岡の白では絶対的センターの駿府城に。その近くには、賤機山城というものもあるらしいけど、詳しい場所が分からずでまたの機会に。慶長10年(1606年)に将軍を2代目の秀忠に譲って大御所として晩年を過ごした城は、どんなものだったのか。駿府城は、駿府城公園となっていて、天守閣や本丸はないが、駿府城東御門と巽櫓(たつみやぐら)は復元されていて公開されている。今年の4月には、新たに坤(ひつじさる)櫓の復元が完了して公開されるという。
受付の自動販売機で200円(紅葉山公園まで含めると300円)を払って、駿府城東御門・巽櫓の中へ。まずは徳川家康像のお出迎えだが、ちょっと細面でイメージ的には豊臣秀吉がふっくらした感じ。そんなことを話していると、オレンジ色のウィンドブレーカを来たボランティア・ガイドのおじさんが、説明しましょうかと話しかけてくれた。時間もあるのでとお願いしたら、これが面白くて通常は30分ぐらいの見学コースらしいのだが、1時間以上もここで話を伺った。神社仏閣では、屋根の重さを分散するのために梁はテコの原理を利用するのに、城では一分一秒を惜しんで築城しなければならないから、大きな梁を使うとか。確かに見上げると、角からは巨大な梁が出っ張っている。戦国時代の城を同一スケールで比べた細かな違いとか、織田信長の安土城の発覚というのは八角形ではなく従事の可能性もあるとかなどなど。これはボランティア・ガイドさんの話を聞かないと、駿府城の半分も楽しめない。
館内の唯一の撮影禁止ポイントは臨済寺の「竹千代手習いの間」を復元したところで、宗教的意味合いがあるらしいが、そこに小さく徳川家康の遺訓が書かれたものが飾ってある。
- 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
- 不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
- 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
- 勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
- おのれを責めて人をせむるな。
- 及ばざるは過ぎたるよりまされり。
この意味が分かるような年齢になったなぁと思っていたら、この遺訓も実は、信長・秀吉・家康の「鳴かぬなら...ほととぎす」の句のように、後から作られたという説があるらしい。なんだそりゃ。
最後に、徳川家康は鯛の天ぷらが原因というのが通説であるが、どうも違うという説もある。理由はこんなことから。