人生の送り方

7月上旬から中旬にかけて、腎生検というものをした。読んで字のごとしで、生きた腎臓の検査で身体から腎臓の一部を採取して腎臓の状態を確認するものだ。それによると、僕の腎臓は血液を濾過するための糸球体という血管が糸くずのようにまとまった器官が1/3ほど潰れているため、正常な腎臓の2/3ほどしか機能していないらしい。腎臓が1/3潰れているから2/3の機能しかないというのは、小学生でも分かる計算である。問題は、このままいくと最終的には腎臓は機能しなくなり人工透析になるという。
人工透析は、週に3回ほど6時間前後かけて腎臓の代わりに血液から不純物を取り除く医療行為で、他の生活習慣秒と並んで総医療費高騰の原因となっている。そのため、厚生労働省では早期発見と治療に取り組んでいるという。それでは僕の身体も治るのかと期待したが、原因は不明なので抜本的治療が分からないらしい。というところで、今のところ血圧を下げる薬で腎臓の負担を減らし、塩分をなるべく控える生活をして経過観察ということになった。
これで腎臓の機能を少しでも長く伸ばして、90歳ぐらいまでは持つようにするという。90歳にもなれば、いくら元気でも海外旅行には行かないでしょうという説明を受けた。そのときは、それほど長生きするとは思えないし、90歳での海外旅行というのも想像ができないので、納得した。でも、よくよく考えてみると、そうやって制限されて生きることが、果たして本人にとって幸福なんだろうかと感じた。幸せなまま長く生きたいとは思うが、長く生きることが幸せとは限らない。そして、自分の納得する人生と、人生の長短は必ずしもリンクしないだろうと。ただ欲張りな僕は、どんなに長く生きてもやりたいことは残っているだろうし、納得しないんだろうなぁ。
いちばん恐れていた飲酒については、それは肝臓だからということで制限をかけられなかったので、まぁよかった。担当医からは、飲酒時は塩分を多く取りがちなので、それについては意識してと釘を刺された。ごもっとも!