オタクはすでに死んでいる

新書なので2時間くらいで読めるでしょと言われたのだが、電車の中でしか読まないし、座って本を開くとすぐに爆睡というわけで、なんやかんやで一週間ぐらいで読了。ピアノの練習と同じで、読書量が減ると読書速度も比例して減ってしまう。ちょっと凹んだ。時間があるときに、日頃は見れないテレビを貪るようなことを控えて、本を読まないとなぁと反省。
それにしても、いまさらオタキングこと岡田斗司夫の「オタクはすでに死んでいる」。岡田斗司夫が、ほとんどの書評は目次をなぞったような上辺の書評でしかないし、オタク第3世代が「オタキングは自分自身以降のオタクを理解できない」というのは筋違い、と書いてあるものを目にしていたので、本当にそうなのかと検証モードで読んでしまった。そういうのって、犯人が分かってしまった推理小説を読むようで、あまり面白くない。
ただ、今回は岡田斗司夫が反論できないように至るところにとラップを仕掛けてあるので、それを行間から見つけるのがなかなか面白い。それを見つけられないと、目次をなぞった書評になるし、筋違いの反論ということになるのだろう。目次をなぞったというのは簡単で、目次と内容が微妙に一致しないというか、微妙にずらしてあって、目次から常識的な筋はこうだろうとやるとハマってしまう。筋違いの反論というのは、最初からSFオタクのときに書いてあるように、上から目線で「若者は反抗するのは義務である」と押さえておいて、持論を展開している。実にあざとい。そのあざとさは、あとがきまで続くが、それほど嫌味にならないのは、育ちの良さなのかもしれない。
オタクが死んだというのは、実は第2世代までの共通認識が通じなくなったことであり、それは岡田斗司夫がデブじゃなくなり「いつまでもデブと思うなよ」を書き上げたときに自ら葬ったというのが相応しいと感じた。